2020年10月25日日曜日
芋代官の石碑が調査されている模様
邑南町の歴史的観光名所 ページ案内
ツイッターでつぶやいていることが多いので、最近のまとめを画像と共に。
今や邑南町が力を入れている久喜・大林銀山跡地。最近、朝日新聞の記事になっていました。
国史跡をめざして文化庁と協議中なのだとか。邑南町内には国指定のものはありませんので、ぜひ実現してほしいところです。
上で紹介した朝日新聞の記事では、精錬所跡は随分草が生えているようで、昔ほど賠焼炉跡などがよく見えなくなっているんじゃないかと心配。
それでも、カラミ原はやっぱり草は生えない。さすが明治時代の産業廃棄物置き場。この地域、当時は公害病も発生していたんじゃないか、と思いますね。
↑カラミ原の360度パノラマ写真
そんな久喜銀山でも、私は岩屋地区がオススメの場所。
ここは久喜・大林銀山の中でも一番古く採掘が始まった地域であり、戦後昭和26年に再開発された場所で「昭和間歩」が残っています。昭和時代でも、邑南町に鉱山が操業していたってのは驚きですね。
しかも、その間歩への送風用機械がそのまんま残されています。もとは機械小屋があったのですが、いつの間にか朽ちてしまって機械だけ残ってます。ディーゼルエンジンなので、近くにはその軽油用ドラム缶がころがったままになってます。
ここは見所。
↑送風機械の360度パノラマ写真
2020年10月14日水曜日
旧日貫トンネルの思い出
旧日貫トンネルについて、まとめました↓
私にとっての記憶は、旧石見町(現邑南町)と旧旭町(現浜田市)の境に位置するトンネルで、まずトンネルに行くまでが結構急勾配の道なので、積雪時は登らない車があったり大変だった記憶があります。
矢上駅から「浜田行き」の国鉄バスが1日2往復ぐらい運行されていて、一度だけ乗ったことがありますが、トンネルがあっても難所という感じでした。
ですから、トンネル開通前の「才の峠」と呼ばれていた郡道時代は、さぞかし困難な道だったことでしょう。
ネット上では、なにやら心霊スポットとして紹介されており、トンネルの上に女の霊が立っていたとか。地元民としては聞いたことない。
むしろ、旧断魚トンネルや因原のトンネルに幽霊が出たといって学校でうわさになっていたのは覚えていますねー。
旧日貫トンネル手前に2軒程度の民家があったのですが、いまはもう住む人がありません。
トンネルに向かう道も土砂崩れがあり、やがては荒れて通れなくなることでしょう。
そうなる前に、旧旧道は一度確認しておきたいものです。
旧日貫トンネルに登る道の360度写真↓
オレンジ色の流出物がなかなかキモいのですが、土砂崩れも起きています。完全放置状態なので、やがては車が通れなくなるのでは、という気がしています。