2019年5月12日日曜日

廃集落「牛ノ市」の押山へ再び訪れてみた

邑南町中野の牛ノ市集落。

それ、どこ?という人も多いでしょうが、とんでもない山奥のために昭和48年「過疎地域緊急措置法」により全戸が矢上新町の住宅に移転し廃集落となった場所。
その中でも押山にある廃屋跡に、久しぶりに訪れてみました。T家の跡地。

牛ノ市


まだ納屋や土蔵が残っており、周囲は棚田の石垣などが見受けられます。

断魚渓から細い林道のような道を入って3、4キロでしょうか。途中の八幡集落(廃集落)には林業関係の人が入っているのでまだ車でも入りやすいですが、その先の牛ノ市に向けては舗装されてない山道。乗用車では無理。軽トラでも、危険を感じる道。


10年前に来た時は、T家のご主人が個人林業のために矢上新町の住宅から軽トラで通っておられたので、まだ通り安かった。しかし、その方も数年前に亡くなられ、いまや誰もこない地に。道はかなり荒れていました。
「いつか一緒に、牛ノ市集落跡まで行きましょう」と口約束していたのですが、それもかなうことはありませんでした。
その牛ノ市集落の中心部には、T家跡地から更に2キロ程度奥地に入らねばなりませんが、そもそも10年前ですら道は自然に還っていたので、いまやもう突入は無理。


Tさんが手入れしていた山も、もう荒れる一方なのでしょうね。
最近はバイオマス発電で伐採が多いので、いつかは林業関係が入っていく機会があるかもしれません。Tさんとの約束、いつか果たせる日が来たらな、と思いつつ……。 

(外部リンク)牛ノ市集落の変遷


2019年3月20日水曜日

廃集落「目良谷」

島根県邑南町(旧羽須美村)に目良谷という集落がありました。

いまはもう地図には載っていません。炭焼きなどで暮らしを立て、戦後まもなく人がいなくなりました。
最近、林業用の作業道路がついたらしいのですが、まあ、行くにはなかなかの山の中です。

詳しくは「廃集落を訪ねて 目良谷」へ。

1948年の目良谷

願成寺

邑南町日和にある浄土真宗寺院「願成寺」
2014年撮影と思われるGoogleストリートビューでは山門もあるし法話案内の掲示もされていたのだが、2018年訪問時には誰もいないし山門も取り壊されていた。
これで日和にある寺院は如伝寺だけになった訳だ。

願成寺(2018)

詳しくは「廃寺を訪ねて 願成寺」へ。

2018年10月15日月曜日

宗林寺と、口羽通良の墓

JR三江線廃止で、より寂しくなった邑南町(羽須美地区)口羽ですが、かの毛利元就の重臣である口羽通良は口羽の琵琶甲城を拠点としており、その麓の宗林寺に墓があります。

宗林寺



口羽通良の墓は、寺の裏手を登ったところにあります。
もともと、この寺地は口羽氏の館があった場所と言い伝えられ、この墓から琵琶甲城へ登る道もあったようですが、最近は荒れている模様。

(詳しくは「口羽通良の墓がある宗林寺」ページへ)

2016年8月26日金曜日

和田別当城……本城常光の陣城跡

島根県邑南町の和田地区にある別当城跡。

登山道も整備されて、案内板も設置されているのですが、何やら地権者と色々あったようで、あんまり登らない方がいいとも聞きますが、どうなんでしょうね。
そんなの関係無しに登ろう!という方、私が登った時には目の前をデカい鹿がドカドカと通り過ぎて行きましたし、クマさんも付近で出たという情報もありますので、ご注意を。

ともあれ、別当城の名前から荘園に関係する人物による築城かとも言われますが、ハッキリしません。
しかし、高橋氏が二ツ山城の出羽氏を攻める際に陣を敷いた、はたまた吉川元春と尼子軍が戦った出羽合戦の際には本城常光が陣を敷いたというのはそうなんでしょう。
現在残る縄張りを見ても、陣城の様子が伺えますが、削平がしっかりしており広いので、陣に限らず長期間使用された城なのでしょう。

別当城についての詳細はこちらへ。

別当城 登山口
別当城登城口
案内板がありますが、駐車スペースは無いです。

別当城 本丸
別当城 主郭
かなりの広さがあります

別当城案内板(本丸)
主郭にある案内板

別当城北側曲輪
主郭から北側は薮がひどいです


堀切
西側の堀切跡

別当城のカカシ
カカシが立ってるので、最初ビビりました。

石見高橋氏の拠点、藤掛城へ

島根県邑南町の阿須那にある藤掛城跡は、石見高橋氏の拠点となった城です。

NHK大河ドラマ『毛利元就』が放映された時には、結構訪問者があったそうです。
以前は登り口が分からずに登城に難儀しましたが、最近(2016年)は地元の方により西側からの登山道が整備されたようです。案内板もあります。有難い事です。

この藤掛城を拠点として、出羽氏の二ツ山城も攻略して本城を築き、巨大な勢力となりましたが、最後は毛利元就の計略により高橋氏は滅びました。

藤掛城についての詳細は、こちらへ。

藤掛城への登城口
藤掛城への西側登城口

藤掛城 本丸
藤掛城 主郭(本丸)
南北に細長いです。

藤掛城 櫓台
本丸中央には櫓台があり、さながら天守台の様相です。

藤掛城主郭
藤掛城主郭を北から

北側曲輪跡(二ノ丸)
主郭直下には、いくつもの曲輪が存在します。

 ただ、文献では「藤根城」とも記されており、実は「藤根山」というのが別に存在するのですが、城郭調査に入っていない模様。戦略的には、藤根山の方が立地がいいそうなんですが……気になりますね。